カナシブリン

主にシンデレラガールズについて思った事をつづっていきます

何かを表現すること

6月5日は私にとって1つ小さな記念日となりました。

と言いますのも、昨年の6月6日から1年間毎日このブログを更新してきました。5日がそのちょうど365日目にあたったのです。

開設の記念とは別となるこの1つの節目に、ちょっと個人的な感謝を書いていきたいなと思います。

 

 

作曲家の2人をゲストにお迎えしてのデレパ第185回。おまけも含めて、大変楽しく聴きました。

田中秀和さんが「桜の風」に埋め込んだいくつもの要素、滝澤俊輔さんが「Voyage」を作る中で受けたリクエスト、そして柏谷さんが持つディレクションの感覚。毎度毎度おじさん回はいつもと違った面白さがあります。

 

少し時間は空きましたが、そのデレパを受けて、ここでは私が思う「何かを表現すること」がテーマです。。ちょっと前に別の記事でさらっと触れたことについて、今回はより膨らませて書ければいいな。

 

 

私がこのブログを始めてからだいたい1年と7ヶ月。こうして自分が主にシンデレラガールズを追ってきた中で、たくさんの変化がありました。表現者について意識するようになったのも、その変化の1つです。

 

大きな変化を感じたのは、今年の始めでした。

 

インフルエンザにかかり、実家に釘づけとなった私。偶然、夕方にBSで放送している中国の時代ドラマを見ました。放送局はBS12、タイトルを「三国志趙雲伝~」と言います。三国志には特別な興味を持たない私ですが、何故かこのドラマに引き付けられ、体調が回復してからも録画を駆使しながら最終話まで見ました。

見始めてからしばらくの間、なーんでこんなに興味を持ったんだろうかと考えていました。しばらく考えた末に私は、自分がドラマを「物語」としてではなく「作品」として楽しんでいることに気付きました。

そのシーンで何を見せたいのか、何を演出したいのか。ドラマを見ている中で、自分はそのあたりに重きを置くようになっていたのです。すると、以前よりも登場人物の心の動きがわかりやすくなったように思います。どうしてヒロインが婚約者より主人公に魅かれるのか、主人公の仇敵は心の底に何を抱えていたのか、どうしてこのオリジナルキャラはここで退場する必要があったのか。考えている内に、どんどんキャラへの理解も深まっていきました。

こういった感想を抱けたのは、趙雲が忠義にまっすぐで鈍感な主人公気質な男として描かれる、ある種王道な物語だったからだと思います。おかげでオーソドックスな物語の中に組み込んである要素がわかりやすかったです。

また、三国志とは銘打ちつつ、話の前半はほとんど趙雲とオリジナルキャラクターとの物語でした。このおかげで、前半は三国志と言うよりはほとんどヒューマンドラマとして見ていましたね。そしてそのヒューマンドラマがとても面白かったんです。個人的には前半の常山郡でのお話の方が、三国志の表舞台に趙雲が登場する後より好きです。

ここまでたくさん褒めてきましたが、私は絶賛がしたいわけではありません。後半ではちょっと展開として私に合わない部分もありましたし、苦手なキャラクターもいました。結構露骨な合成のシーンもありますし、セット感の強さに目がいくあたりは、普段見ているドラマの違い、日本と中国ではどのあたりに力を入れているのかという点も少し影響している部分はあるのかなと思います。感じ方も人それぞれ。

 

趙雲伝を楽しんで試聴したあと、きっと私はほとんどの物語で私なりの楽しみ方ができるだろうなと思いました。だってそのキャラがどうしてそう動くのか、どうしてそう思うのかを考えるだけで楽しいですもん。まぁ、その考え方が自分によっぽど合わないキャラばかりならかなり見るのがキツくなるとは思いますけど。

 

私がそう変わった理由を考えると、このブログ、そしてシンデレラガールズの存在がかなり大きかったなと思います。

ここからはその要素を拾っていきましょう。

 

まずはこの記事の冒頭でも書いた作曲家さん。そして作詞家さんや楽曲制作に関わる方々。

大きく楽曲についての考え方が変わったと感じるのは、滝澤さんがデレパで「ツインテールの風」について話された時ですかね。小学5年生の男の子が、偶然隣の席になったマジメそうな女の子のちょっとしたギャップに魅かれ、その感情に揺れ動く姿。曲を聴き、歌詞を追うたびに、その男の子の姿がかわいくてしょうがなくなっていきました。

滝澤さんや柏谷さんが女の子で一番ツボだった部分が落書きなら、私にとって男の子のツボは身長。ちょっと自分より背の高い好きな子に、中学までには身長を追い越してやる!そう内心燃えている姿がホントに善き。それだけでなく、新たな感情が芽生えて学校から帰るのがちょっといやだったり、好きな子に対して素直になれなかったり、微笑ましさのオンパレードです。

 

クリエイターさんの話は聞けていませんが、似た感覚はシーズンズのスプリングに収録されている「未完成の歴史」と「Spring Screaming」でも持ちました。どっちも青くて青くて、その青さがいい。シンデレラ界隈でよく使われる「蒼い」ではありません。「青い」です。

今回のデレパで田中さんが春に抱いたイメージのように、春って必ずしも明るくてポップなものではないと私も思うんですよ。

 

「未完成の歴史」なら、旅立ちを前に不安を抱える自分。周囲は変化を笑って受け入れています。その波に自分も巻き込まれる。そんな中、そこに疑問を持つ自分。みんなと違うって怖いことです。でも、そんな風に悩む自分を肯定できるようになった時、新たな世界が開く。そうなれるまでには、たくさんの葛藤や痛みが自分を待ち受けています。

こうやって考えていくと、一聴では春らしくないこの曲調にも合点がいくはず。そして、改めて飛鳥がこの曲を歌う意味について深く考えることができます。

 

「Spring Screaming」はテーマに「ツインテールの風」と似通ったところがあります。厳密にどの年齢を想定したかはわかりませんけど、こちらも恋の芽生えの歌です。初めて知る感情に心をかき乱され、その不安と衝動を叫んでいます。神様の意地悪や悪戯って表現が絶妙ですよね。こんな言葉選びをできるようになりたい。

そういった幼さを考えると、薫ちゃんがこの曲を歌っているのが面白いなって思います。

 

この2曲は曲の主人公への微笑ましさが溢れてとどまるところを知りません。今の自分をちゃんと肯定できているか怪しい身としては、「未完成の歴史」についてそんな感想を持っていいのかわかりませんが。

 

 

ここまでは歌詞にフォーカスして書いてきましたが、もちろんメロディーや伴奏にもちゃんと意味があるわけですよ。残念ながら音楽について大した素養を持たない私は、上のように曲の雰囲気についてふんわりとしか話すことしかできません。だからこそ、この時のデレパのように作曲家さんのお話が聴ける回はとても嬉しいです。

作り手が何を表現したいのか、そのためにどんなギミックを組み込んだのか。もちろんここには歌う人や演奏する人も入ってきます。その表現のためにどう歌うか、どう演奏するか。例えば美波役の洲崎さんが、包み込むような優しさの「Voyage」を歌うために何を思い浮かべたのか、ですね。本放送のコメントで書かれていたのでここでは書きません。あの話は書いたらネタっぽくなるし。

その「Voyage」はコロムビアさんの定期更新で曲が紹介された時の文章が印象的です。

 

 “美波”というアイドルの根底は「美の女神」の一面よりも、頑張り屋で努力家で、
そして面倒見もよい美波だからこそもっている包容力で、努力する人や困難を乗り越えようとする人に、
ときに激しく、ときにやさしく心を支える、心のよりどころとしての「女神」です。
その美波の魅了を是非この楽曲でお確かめください。

 

http://columbia.jp/idolmaster/imasnews/180413.html より引用

 

楽曲を作る上だと、作曲家さんや作詞家さん、編曲の方の名前が大抵出ますが、その曲について表現したいものを整え、発注する存在がいることを改めて実感します。こういった一面を見せたい、この人ならこんな世界観を作り出してくれる、そんな目算を立てて、依頼をするわけです。

「この人はこういう曲しか作れない」んじゃないんです。「こういう曲にしたい」からその人にお話がきているわけです。

こう考えるようになると、楽曲の好みはあってもその出来に口を出そうという気持ちにはなりません。もし気に入らなかったら、それは感性が違っただけ、解釈が違っただけです。少なくとも、今の自分にとって解釈が180度違うという曲はシンデレラガールズで登場したことがありません。

 

 

 

続いてはマンガのお話。

U149がサイコミにて連載されるようになってから、毎話感想を書いています。昨夏には奏が登場した時に一度WWGについても感想を書きましたし、U149と同じくWeb連載となるAfter20についても毎話感想を書いています。

その感想の内容や文章の稚拙さは置いておき、この感想を書いていったことは自分の感性に大きな影響を与えました。特に、始まりとなったU149。

多分はじめはなんとなく思いつきで始めたんだと思うんですよ、感想記事って。そのなんとなくというところから、「もしかしたらこんなことを意識して書いているんじゃないか」「こういうところを見せたいんじゃないか」というように、書いている心境が変化していきました。

それが顕著だったのは千枝ちゃん編です。信号と横断歩道、ヘアピン、みりあちゃんの初めての経験、褒める小春ちゃん、そして千枝ちゃんが抱えていた不安の描き方。1つ1つのところだけ抜き出すと、どれもなんてことないシーンなんですよね。それがパズルのピースのように物語の中でかっちりとはまっていきます。

先日、結城晴役・小市眞琴さんが千枝ちゃん編について触れていたのを見て、自分も読み返してみました。これを書くにあたって当時書いた感想も見返したわけですが、今ならもっと気付けた部分もあったなと思います。前半からこのお話を形作るたくさんの要素が散りばめられていたことに、あの時はまだ気づいていませんでした。

この時読み返しても、単行本を買って改めて読み直しても、どっちも目頭が熱くなりました。最近涙腺が緩い。

 

もう1つ嬉しかったのが、第2巻のあとがきです。

ここまで1巻、2巻ともにあとがきでは個別回が収録されたアイドルについて廾之先生が自分の解釈を書かれています。その中で、自分が読んでいて晴ちんに持ったイメージが、そのまま廾之先生が意識していた部分でした。

人の見せたかった部分を、自分がきっちり捉えられていた、これがすごく嬉しかった。ペースこそ遅いですけど、これ以降は明らかに自分の中で感想記事に対してのモチベーションが上がりました。

 

このように、物語を読み解いていくことへの新たな楽しみをくれたのは、廾之先生と言っても過言ではありません。だからこそ1回はU149のイベント行きたい…。直接そのお話を伺いたい…。

 

 

 

次も絶対に外せない。

今現在まで、シンデレラガールズで声を担当してくださっている声優さん達、そしてライブです。

先に声優さんについて書きましょうか。

ライブはもちろん、ラジオやシンデレラガールズ以外の場所でも声優さんたちのお話をたくさん聞きました。それぞれが演じる上で考えること、これまでに歩んできた様々な道のり。このブログの中でも長らく取り上げてきたアニ雑団では、特に色々な話を聞くことができました。たくさんのお話を聞いてきて、やっぱり頑張っている人って応援したくなるよねって思います。

 

その頑張りが大きく形となって私達の目に見えるのがライブです。

個人的に大きく響いたのは5th石川2日目の最後のMCでしょうか。あれだけの涙を見たらこっちも心が動きます。たくさん思い入れを持ってステージに立ってくれている人達。それまでも何度かライブには行ってきましたけど、明確に自分自身に変化が訪れたのがこの時だと思います。初めて行ったイベントに行ったサマフェスの頃はこんな自分になるなんて想像もしていませんでした。あれがもう3年前になろうとしてるんだ…。

ちょうどこの石川公演から動画での感想も始めました。遅筆な分色々なことを考えられる文章に対して、感じたことを熱い内に形にできる動画。仕上がりは別として、それぞれの良さがあると思うこの両立体制は気に入ってます。

自分が何を喋るか信用できない身としては、編集や推敲ができる点もメリットです。できているかは別としてね。

 

 

上で触れた石川公演。毎日更新の始まりである6月5日は、この石川公演の熱に浮かされた状態でした。昨年はその後もツアーからたくさんの元気、やる気をもらい、日常生活についてもかなりエネルギッシュに動けていたと思います。

それまではたまに何も更新しない日もあったのですが、書けそうなものが無い日でも、何かは見つけて書こうとするようになり、それは1年経った今でも続いています。

毎日何か記事を書いているわけではなく、時間がとれなさそうだと事前にわかればあらかじめ書いておいて予約投稿をする場合もありますし、その日の内に書けても、ネタが無さそうな翌日に回すこともあります。

これを含めて毎日更新しているというのもちょっとズルな気もしますが、今の私にとって毎日更新することが1つのモチベーションにもなっています。継続日数が365日になったのはやっぱり嬉しかったですし、この数字をさらにのばしていけるように今後もやっていこうと思います。

 

こうして書いてきて思うことは、自分の力の無さ。もっともっと読みやすい形で、わかりやすい表現で、小粋な言葉選びで。無い物ねだりばかりしてしまいます。こんな風に自分についてウダウダ言うことも多いどうしようもない1人の男ですが、これからもよろしくお願いします。